わが力なきをあきらめしが されど
草の葉で織る焔(ほむら)文様

松本 清張『草の径』より

これは亡くなる数年前に書かれた松本清張の短編集「草の径(みち)」の扉の前に書かれた言葉です。この頃にはもう片目がほとんど見えなくなっていたそうですが、氏は82歳で亡くなる直前まで休むことなく作品を書き続けていたとのこと。

『砂の器』をはじめ、子供の頃から松本清張の作品に触れると、何か強い共鳴のようなものを感じて来ましたが、後になって氏の人生を知るほど、その作品を貫いていた想いがより分かるようになりました。全ての作品の登場人物の言葉には、疎外された半生の中で堪え続けて来た、清張自身の声が投影されている。もはや清張自身が登場人物となって、その物語の中を生きていたのではないか。

焔とは、憎しみや怒りで燃え立つ心の激情をたとえた語。

高知のシンガーソングライター矢野絢子さんの演目にも、ステージで能面をつけて演奏する、妖怪の目から現世のヒトの業を見て唄う『焔』と名付けられたタイトルがあるのですが、内側にいると見えなくなる、この世界の片隅や外側からしか見えない景色というものがあるのではないか、『焔』という言葉を見ると、そんなことを考えさせられます。